2003.10.19
井上冬彦さんスライド&レクチャーの記録
(鳥海なおみさんより)
▼井上冬彦さんをお迎えして
井上さんの到着をお迎えしようとするはずが、逆に迎えられてしまった。
待ち合わせ時間よりも早くに駅に到着すると、
電車を降りてすぐのベンチで居心地よさそうに座っていられる方がいた。
3週間ぶりにお会いする井上冬彦さんだった。
井上さんをお迎えしての「ケアする人のケア」勉強会は奈良のたんぽぽの家で行われ、
"コットンクラブ"と称するサロンに18人が集った。
サバンナのスライドと、医療観や臨床例を紹介する言葉とが
交互に映し出されるというオリジナルな展開でもってレクチャーが進んだ。
レクチャーの冒頭で示された「医者よ汝を癒せ」という言葉は、
参加者の多くの中で「ケアする人のケア」という言葉に変換され、
井上さんの問題意識を共有するに容易かったと思われる。
▼"診る"と"見る"
井上さんの医療観のひとつにこのようなものがある。
「人には自分を治癒する力がある。
99%は薬の力であっても、1%の人間の力がなければ病気は治らない。
医療とは人の本来の力を引き出す営みである。」
このことは、井上さんの次のような写真観にも通じている。
「人はだれでも、いのちの意味や生きる意味について、その答えを知っている。
僕の写真を見ることが、それを引き出す契機になれば。」
「診る」ことと「見る」こととは、他者に何かを仕掛ける行為ではなく、
他者から「引き出す」という行為であるという点で、両者がしなやかに繋がる。
▼そして、引き出されたもの
井上さんのレクチャー終了後、感想を分かち合うつもりが、
参加者の誰もが、死や病や障害にまつわる個人的な体験を自分の言葉で語り出した。
井上さんの写真や言葉に励まされるようにして、
目を背けていた、"いのち"にまつわる痛みに向き合ってみると、
自分にその痛みを受け容れる力があることに気づかされる。
この先、自分はもう大丈夫だと分かったら、
その痛みの意味を理解するために言葉にして語ってみる。
その過程を井上さんがただ見ていてくれる−
一連の展開はまさに"ケアする人のケア"であった。
このようにして引き出された言葉の一部を最後に記した。
「僕の写真をご覧になった皆さんは、どうして涙を流されるのだろう?」
奈良から大阪へと向かう電車の中で、井上さんが真顔で疑問を口にされた。
その表情があまりにも真剣かつ不思議そうでいらしたので、思わず笑ってしまった。
▼哀しい希望
レクチャーの後半では、
自然界における「"弱肉強食"の払拭」と「共生」という考え方が強調された。
参加者のうちの1人は、井上さんの考えに呼応して、
声を絞り出すようにして「希望を感じる」と語った。
彼の哀しそうな声と「希望」という言葉の語感があまりにアンバランスで、
それは、井上さんの写真から受けとる印象と同じだった。
医療や社会福祉援助の技術でもって
他者の痛みの種類を分析することはできても、
他者にとっての痛みの意味を決して知り得ることはできない。
としたときに、何らかの痛みを契機に出会うことになる
ケアされる者とケアする者は、
いずれにもあたりまえに死が訪れるという地平でしか、
真に出会えないのではないだろうか。
そのような認識は、やがて死にゆく"いのち"を
互いに生かし合うという関係を指向する。
それを"共生"としか命名しようがないのなら、さらに推し進めてこう定義したい。
異質な他者との不断のコミュニケーションによって、
"いのち"の多様性を見出し、それを受け容れていく過程であると。
そのような関係性においては、"強者の論理"が相容れない。
井上さんの写真で見た、痩せ細ったチーターを想う。
▼折り重なる時間
「死を内包した生を支える」
という概念にとりつかれたのは10代の半ばだった。
あれから多くの時間が流れて、井上さんの写真作品に出会った。
今にあってそれらの写真を見ることは、
あの頃の自分の想いを確認することでもある。
写真集の頁をめくるとき、
異なる時空で撮られた写真と写真が一枚に重なるように、
たんぽぽの家で井上さんや参加者の方々と過ごした時間は、
遠く離れた時間と今の時間が折り重なっていくような体験だった。
井上さんのレクチャー終了後に、
参加者が語った言葉の一部を記します。
●たんぽぽの家のメンバーさん(障害をもつ女性)
二次障害に悩まされています。
先日、検査入院をしたら手術が必要だと言われました。
手術を受けるのが怖かったけれども、
今日の話を聴いて、手術を受けてみようと思えました。
●たんぽぽの家のボランティアさん(女性)
息子が来春に医学部を卒業するのですが、
その息子にも今回の話を聞かせたかった。
医学部においても、
"いのち"を多角的に見つめる教育が必要であると思います。
●たんぽぽの家のスタッフさん(女性)
日常的に関わる方々の身体や心の痛みを
どうやって共有すればいいのかわかりませんでした。
でも、今回の話を聴いて、
当事者と共にその痛みの意味を考えていくことが大切であると思いました。
●障害児への人形劇公演に取り組む看護師さん(女性)
人形劇を見てくれるこどもたちは、
共感することが難しいほどの痛みや傷を負っています。
動物の親子の写真では、
無償の愛を表現されようとしていると語られていましたが、
そこに井上さんの個人史があらわれているように思いました。
●たんぽぽの家のスタッフさん(男性)
"生きる"とは自分らしくあること、と教えていただきました。
自分らしくありたいと思うと同時に、
みんなもそうであるようにするには、ということを考えていきたいと思います。
奈良という土地にもアフリカのような自然を見つけ、
日常生活の中で"いのち"のつながりを感じていきたいです。
●たんぽぽの家のスタッフさん(女性)
1週間前、友人のお母さんの葬式に出かけてきました。
死因は自殺でした。
お骨に手を合わせるときも、帰りの新幹線の中でも、
今日までの1週間も、友人の辛さを想像して心は痛んだが、
なぜか涙が出ませんでした。
でも、今日、この場で初めて、
友人のお母さんの死の意味がわかったような気がして、
涙が止まらなくなってしまいました。
友人の部屋のカーテンに絵柄に鳥が描かれていたのですが、
先週の夜にそれを2人で眺めながら、
「お母さんも鳥になりたかったのかな」と友人は語っていました。
井上さんの鳥の写真を見て、
友人の心の痛みも初めてわかったような気がしました。
●たんぽぽの家のスタッフさん(男性)
僕も井上さんの写真に"死"を感じます。
昨年、たんぽぽの家のスタッフが癌で亡くなり、
皆が大きな哀しみに包まれたのですが、
そのことが互いのつながりを深めたような気がします。
●たんぽぽの家のスタッフさん(男性)
自然界において「共生」という現象がみられるとき、
「弱肉強食」が否定されることを知りました。
そのことを人間に置き換えたときに希望を感じました。
それらを調和させるものは何なのかを考えていきたいと思います。
〜参考(案内より抜粋)〜
「ケアする人のケア」勉強会
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
医師と写真家、二つの視点からいのちを考える
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
話題提供 井上冬彦さん(内科医・写真家)
▼日時:10月19日(日)13:30〜15:00
▼場所:たんぽぽの家(奈良市六条西3-25-4)
近鉄学園前駅、または、西の京駅からバスで15分
▼内容
医師であり写真家でもある井上冬彦さんを招いて、「ケアする人のケア」について考
える勉強会を開催します。今回、話題を提供してくださる井上さんは、内科医として
勤務する傍ら、プロの写真家としても活動しておられます。
サバンナの写真をスライドで楽しみながら、まずは"いのち"のもつ本来の輝きに思い
をはせてみましょう。そして、井上さんが、医師としての経験から感じてきたケアを
めぐる課題や問題意識についてもうかがいたいと思います。そこから、自然の力や写
真と医療の接点について考えてみたいと思います。どうぞ気軽にご参加ください。
▼井上冬彦プロフィール
東京慈恵会医科大学を卒業後、1992年から同大学に講師として勤務。98年に初めて東
アフリカを訪れた時の感動から写真活動に入り、95年の写真展『サバンナが輝く瞬間
(とき)』で写真家としてデビュー。写真活動が増えるにつれ、大学病院の勤務では
写真の活動に限界が生じてきたことから、99年に横浜にある恵仁会・松島クリニックに
移り、現在は診療部長。専門は消化器内科。同年に、井上冬彦・写真事務所を設立
し、現在に至る。
展覧会に来場した人たちの「元気になりました」、「やさしくなれそうです」、「癒
されました」などの感想から、医の原点である癒すという行為が写真でできたという
ことに驚き、以来、写真が医療と両立するライフワークとなった。現在は、二つのラ
イフワークである写真と医療を統合した活動として、医師として"人間の生と死"、ま
た自然写真家として"野生の世界の生と死"を見てきた経験から、「生と死」、「共
生」、「自然の掟」などをテーマとした講演活動を行っている。
(ホームページより抜粋)
http://fuyuhiko.jp/