前回『TSUNAGARI』というタイトルで書いたあとの、ごくささやかな
エピソードを、メモがてら書いておこうと思う。頭の中でいろいろな
思いが交錯するけれど。
発端は、文中で取り上げた『ガイア理論』について確認しよう
と、インターネットで映画『地球交響曲〜ガイア・シンフォニー〜』の
公式ページを訪ねたことから始まる。(先に確認しとけって?)
実は、取り上げたわりには、『ガイア理論』のことを、ほとんど知らない。
また、ずっと以前には
「ガイア?なんかうさんくさいなー」
程度の感想しか持っていなかった。(ひゃ〜)
意識が少し変わったのは、映画『地球交響曲 第四番』を観てか
らだった。少し説明すると、このシリーズは、地球(ガイア)の未来
に示唆的なメッセージを持つ先駆者たちを、オムニバス形式で紹
介するドキュメンタリー映画である。(←はい、写してます)
第四番にはこの『ガイア理論』創始者である、生物物理学者ジェーム
ズ・ラブロック氏が出演している。(ちなみに今、映画の中の氏を振り返っ
てみれば、自転車にまたがった姿が親しみとともによみがえる。)
既出一〜三番までを見ていない私だったが、それゆえなんとなくこの映
画の意図のようなものをつかみやすかったかもしれない。そのような流れで、
ガイア理論を調べるのに、この映画のウェブサイトを利用したのだった。
氏は示す。『地球はそれ自体が大きな生命体である。全ての生命、
空気、水、土などが有機的につながって生きている。これをGAIA(ガイア)
と呼ぶ』
確認を終え、そのまま他のページをふむふむと読み返しているうち、ある
言葉につきあたった。それは、監督龍村仁氏による、第四番の企画意
図を表す文章だった。
龍村監督は、未来について、『人類のあらゆる営みの基盤にやわらかな
“霊性”(スピリチュアリティ)が求められる時代になってくると思います』
と述べられ、更に、『“霊性”とは、私たちひとりひとりが、日々の何気な
い営みの中で、「自分は、母なる星地球(ガイア)の大きな生命の一
部分として、今ここに生かされている。」ということを、リアルに実感できる、
その力のことをいうのです』と続けられていた。
私なりの言葉に置き換えるなら、“霊性”とは、すなわち『つながりを実
感できる力』だ。またそれは、「目に見えないものに価値を置く心のありよう」
から生じるものだと思える。
前回の『では、どうすれば「つながり」を実感として、あるいは近しいもの
として、とらえることができるのだろう?』という自問も、あながちピント外れで
はなかったと、ちょっぴり後ろ盾をもらえたような気分になった。もちろん、だ
からなにか先が見えたというわけではないのだけれど。
もうひとつのエピソードは、読書にまつわる。
くだんの龍村氏の新刊エッセイ、『地球交響曲 第三番 魂の旅』
(角川書店)を読んだ。裏話をすれば、前回のまたたび日記は、この本を
入手する前に書いてしまわねばという気持ちがあった。読んでしまうと、染
まりやすい私は、すぐ影響を受けてしまう可能性があると思ったからだった。
いかに考え自体古びていようが、自分の歩みでたどり着いた思いをとりあ
えず書きとめておきたかった。
そして、予想通り、揺さぶられた。この本は、出演承諾を得ながら亡
くなってしまった動物写真家・星野道夫さんの魂とともに、ゆかりのあるアラ
スカやカナダを、予定通りドキュメンタリー(!)映画として撮影する旅路を
振り返ったエッセイだった。心の深いところに届くような内容だった。
著書の中で、龍村氏が、カナダのある島にスピードボートにまたがって入
っていく場面では、身体に眠る”記憶”が呼び覚まされると自覚するくだり
に出会う。
それは、何と純粋で、説得力に満ちた方向性だろう。
そうか、“記憶”なのだ。
かつて、拙ウェブサイトで短い文をお届けしたことがある。このように。
風がつないでくれる
いつかの場所
いつかの時間
いつかの君
いつかの自分
例えば今
時空を超えて
まだ見ぬ君と
同じ風に吹かれる不思議
私は、『想像力』は人に与えられたギフトだと思っている。そして、
この文も、そんな思いから生まれた。
けれども、もっと直接的にとらえることもできたのだ。
あえて言うなら、この文の語り手は、自分と、自分の記憶に棲む遠い
祖先だ。
月を見て、郷愁感に駆られないか?その気持ちの根ざすところに、
もしかしたら、「記憶」という要素は加わりはしないか?それを、信じ
てみる価値はないか?
…言い切ってしまおう。すべてのものたちは、つながっている。大事
なことは、それをいかに実感するかということだ。
繰り返そう。
では、どうすれば『つながり』を実感として、とらえることができるのだ
ろう?

満月と火星