またたび日記

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言うは易し。行うは難し。 

2002年4月20日(土) 
 
 仕事の話です。
 
 この4月、他職場への異動はなかったものの、職場内で配置替えがあった。
該当者となった私は、7年ぶりに勤めだした頃の古巣に戻ることとなった。
 
 個人的に込み入った話題になるが、私は重度の知的障害を持つ人たちが通う
施設で指導員として働いている。この7年間は、「知的には障害があるが、身体的な
ハンディキャップはあまりない」人たちと接してきた。主な年齢層は18歳から25歳
位。人生のうちでもっともと言っていいほどパワーにあふれている年代の人たちと、
毎日たくさん歩いたり走ったり飛んだりはねたり泣いたり笑いあったりしてきたわけだ。
 
 そんな日々にちょっとした区切りが来た。この春からは「身体的にも重い障害をあわ
せもつ」人たちと日々を共にすることになった。同じ施設の中にいながら、両グループ
間の時間の流れ方は全く異なる。

 健康への配慮が必要となってくる人たちに生活面でのサポートはより欠かせない。
具体的には検温、水分補給、トイレ、食事、機能訓練などがそれに当たる。

 冒頭で触れたように、もともとは(新卒時代ですね)今のような身体の障害も重い人
たちのいるグループに属して、働いていた。それは本人(私のこと)曰く、「まるで遊ん
でいるような日々」で、本当に気楽に、通所する人たちと楽しく過ごしていた。相手が
どう思っていたかははなはだ疑問ではあるが。
 不謹慎に思われるかもしれないが、この新卒からの数年間は、今振り返ってみると
人生の中でも特別な日々を過ごしていたと思っている。

 ある種の物事の中には、案外一回目がベストな状態であることも多い気がする。
下手に慣れて要領を覚えるより、わからないままにぶつかる方がおもしろい結果が
残せてしまうのだ。たとえば、絵を描いたり、写真を撮ったりするときにも感じられるし、
この仕事のようにじかに人に接する場合でも、相手の心に残る自分は、わからない
まま相手とつながろうとしたときの自分だったりするのだ。

 そんなわけで、今回の配置替えに当たり、もう私は当時の私の良さを出すことはでき
ない。それは明確に、わかるのだ。残された道は、曲がりなりでもキャリアを生かした
仕事をすることであるが、ことはそんなに簡単ではない。

 7年のブランクの間に、通所する人も、担当する指導員もがらりと変わってしまった。
もちろん細かな仕事の進め方から考え方まで、当時との共通点を探す方が難しい。

 数年前、今の自分と同じ境遇の同僚に向かって、
「対象者を自分に置き換えて考えてみるとわかりやすい」
と進言したことがあった。要するに、相手の立場に立って、
「もし自分だったら」と考えてみるということだ。
体が不自由な人への配慮を前提にした場合、それはフィジカルな快、不快感への
想像力にも及んでくるし、更に自分自身の常識観念までも明るみになってしまう。
「何が不潔で何が清潔か?」
「何が快感で何が不快か?」

 慣れない仕事場で差し出される問題提起は、容赦がない。できない自分へのいらだ
ち、ゆとりがないために、今までできていたこともできないという悪循環。見習いのよう
な日々に、この7年間自分が「慣れ」の上にあぐらをかいていたことを痛感させられる。

 勤続年数だけはトップクラスなので、常に新人や実習生を受け入れる立場にある私
は、先述のように「相手の立場に立って・・・」などとのたまってたわけである。
それこそ、その人の立場に立っていない、想像力のかけらもない発言なのであった。

 でも一方で、この頃は少し自分自身を救済したい気分になってきてもいる。
新配置になって2週間、相変わらず空回ってはいるものの、かすかな思考の先には
やはり「その人の立場を想像する」=「自分に置き換えて考えてみる」ということが、鍵穴
の向こうの光となって、待っている気がするのだ。

 自分を生きている限り、結局すべての尺度は自分自身にゆだねられている。
だから、相手の立場に立つということは、自分を掘り起こすことにもつながるように
思える。

 言うは易し、されど、行うは難し。
この春はそんな言葉を新鮮にかみしめている。
 

 そんなわけで、煮詰まっている自分をもてあました私は、今から屋久島に行って来ます。
推敲もせぬままこの文章をアップして(帰ってきたらなおします)。
 行かせてくれた職場のみなさん、ありがとう! 
 

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