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4月の屋久島へ 

 屋久島に通い始めて1年8ヶ月が過ぎた。「もうそんなに経ったの?」ってな
気分だ。時間はあまりにも早く過ぎていく。屋久島行きの計画を立てるように
なってからはなおのこと早く過ぎる気がする。年間単位でどんどん埋まっていく
予定。航空機を利用するため、チケット発売にあたる2ヶ月前には予定を組ん
でるのも原因だろう。
 今まで11回足を運んだ。とはいうものの1回の旅の期間が大体3泊ほどな
ので、トータルしても50日弱の時間しか過ごしていないことになる。
うーん、効率が悪い。

 今回の日記は、その11回目の旅路をお届けすることになる。
 

 2002年4月20日(土) 雨

 大阪国際空港からまず鹿児島へ飛ぶ。今回は珍しくJASではなくANAを
使った。「超割」に目がくらんだのだ。鹿児島からはいつも通りJASの子会社
JACのプロペラ機に乗ることになっている。
 だが、空港での両者のカウンターは思いっきり離れていた。
広い空港の真反対に位置する。いつものように時間ぎりぎりだったので、
JACのチェックインは見送り、ANAのカウンターで荷物を預けるのが精一杯
だった。よって屋久島までの荷物輸送の手続きができず、荷物をいったん
鹿児島で出さなきゃならない。
 ちょっと面倒くさい。

 9時半に鹿児島着。乗り継ぎの便は10時45分なので時間はある。
重い荷物を引きずって、薩摩揚げを買いに行った。一度発着ロビーの外に出て、
揚げたての薩摩揚げを食べてみたかったのだ。荷物は重いけど、思いがけず
念願かなって嬉しい。
 チーズ揚げとゴボウ巻きを買った。ひとつ百円。朝食を取っていなかったことも
手伝って、気分が浮かれてくる。

 そのときアナウンスが聞こえた。
「屋久島行き**便ご利用のお客様にご案内申し上げます。ただいま屋久島空港
周辺天候不良につき、着陸できない場合は鹿児島空港に引き返すことが予想
されます。ご了承のうえご搭乗ください・・・」
 了承したくないが、乗るしかない。お天気を相手にしても仕方ない。

 一度4月の屋久島に行きたかった。新緑の屋久島へ。
だが、4月は仕事が年度初めでかなり慌ただしいため、ままならない。今回は
職場のたくさんの人に支えてもらいながら旅に出ることができた。
 4月の始めの芽吹きの頃に訪ねたい気持ちもあるが、とにかく今は4月の屋久島を
訪ねることができた幸運に感謝したい。
 いつか行けるだろうか、ふわふわと新緑が芽吹き出す頃の屋久島へ。

 屋久島行きの便は定刻に出た。プロペラの横の席に座り、轟音と振動を受けながら
窓の外を見ていた。雲の上をゆくというのは、何度体験しても不思議だ。飽きずに
そのひとときを楽しむ。
   
 一面に広がる白雲はまるでその上に乗っかれそうな質感だ。私は極地を訪ねたことは
一度もないが、もしかしたらこのような風景かもしれないな・・と思いを巡らせているうちに、
昨年北極海で亡くなった冒険家、河野兵市さんのことを思い出した。日本人で初めて
単独徒歩による北極点踏破を成し遂げた河野氏の軌跡についてはほとんど知らない。
 氏が亡くなったという報道に端を発して、足跡をぽつぽつ垣間見させてもらっている
程度の認識であるが、最後の旅のテーマである「リーチング・ホーム」という言葉はいつも
心をざらりとなでる。北極点から郷里の愛媛まで、6年かけて歩いていく旅。
どんなメッセージが込められていたのだろう?彼を知る人々は氏のこの冒険をどう受け止
めていたのだろう?なぜ家に帰るのだろう?なぜ遠くから目指すのだろう? 

 一度の空中旋回の後、プロペラ機はほぼ定刻通り屋久島空港に降り立った。
着陸もかなりスムーズで、パイロットに心の中で拍手を送った。
 
 もちろん雨だ。愛子岳ももやに覆われていて全く見えない。だが、一歩タラップに
踏み出したとたん、ほのかな匂いが鼻をくすぐった。空気が甘い。花の香りだろうか?
思わず深呼吸。体と心がゆるゆると緩まっていく。
 
 レンタカーNAVIに迎えに来てもらって、事務所でしばし話す。先客があり、その方
差し入れのサンドイッチをお昼にいただきながら、いわゆるご近所の話などを聞いた。

 雨足は強まったり弱まったり。
「雲の色がそれほど暗くないので天気は回復に向かうだろう」とNAVI姉妹は
そろって言う。どこに住んでいても空を見上げ、生活への手がかりとする行為は
変わらないものだが、ここでは自然の影響力が大きい分、人々の関心をより引き
つけているような気がする。

 すっかり落ち着けてしまった腰をようやく上げ、NAVI(妹)さんと出かけることに。
行き先は画家うえだまさのぶさんのアトリエだ。最近立ち上げられたHPを見て、
気軽にお邪魔できることを知り、気軽に電話をしてみる。(メールは出がけに送って
おいた)
 ところが、事態は少し重かった。うえださんは電話に出てくれたが、きのう帰って
くると飼い猫が死んでたそうだ。原因不明。もしかしたら埋葬に行くかもしれないから、
留守なら待っていてほしいとのこと。
 訪問は見合わせようとしたが、せっかくだからと快く応じてくださり、伺うことに。

 アトリエは「一湊」という集落にある。その名の通り漁業の町で、名物さば節も
ここで作られているそうだ。
 おしえられたとおり、県道からガジュマル通りに入る。民家が並ぶが、雨のためか
ひっそりとしている。車を停めて少し歩くと「アトリエ縄文じいさん」と、門柱に表札が出
ていた。

 玄関から呼びかけるとすぐにうえださんが出てきてくれた。
想像通り、穏やかな感じの人だ。
 上がってすぐの畳の部屋に原画や複製画が飾ってある。ふすまが開放されて
いる続きの部屋に大きな真っ白いキャンバスがたたずんでいる。
 相棒を亡くしたもう一匹の猫「ミー」も出てきて、相手をしてくれる。
なでるとふさふさとして暖かい。そのうちのどをごろごろ鳴らして、手をかわるがわる
押しつけおっぱいを飲む仕草をし、やがて眠ってしまう。
死んでしまった「トロ」と同様、まだ1歳に満たない子猫だ。しっぽや足にけがをして
いるのが痛々しい。外で生きるということは、大変だ。周辺には野良猫も多いらしい。

 コーヒーをいただき、原画を見せてもらいながら、ぽつぽつと話を伺った。
「縄文じいさん」の絵のこぶのひとつひとつは、本物と同じ位置にあるという話。
縄文杉の横顔と正面とでは表情が違うという話。 
その横顔は絵の通り所々赤みがかっていて、「生きてる」感じがすごくするという話。

 NAVI(妹)さんがひとつの絵をさして、「この空の色、見たことある」と言った。
黄色の空。私には「日に焼けた黄色」のイメージだった。
太陽光に当たって色あせた黄色。空に使っているのにこの連想は変だが、
思ってしまったものはしょうがない。
うえださんはとにかく黄色を使いたかったのだと言う。
 
 また、NAVI(妹)さんは縄文杉のこぶのひとつをさして、
「どうしてもガイコツに見える」と言った。
なるほど、見える。おもしろい。うえださんも賛同。

 そろそろ引き上げるというときになって初めて、死んでしまった「トロ」の遺体
が玄関脇の庭にあるのに気がついた。少し苦しそうに目を閉じているように
見えるのは、また降り出した雨に打たれているせいか?

 この旅では後にもう一件、飼い犬が野犬グループに鎖につながれたままかみ
殺されたというショックな出来事を聞いた。その話をしてくれた友人が、
「そういう時季でもあるのかもしれない」と言ったことが妙に印象に残る。
確かに、私が飼っていた犬が車にはねられたり、猫が死んでしまったりしたのも、
ツツジが咲く季節だった。
 そこに何の根拠もないが、その言葉は、的確なような気がした。


 夜は、NAVIさんたちとカラオケに出かけた。数年ぶりだ。
調子に乗って、UAとPUFFYと奥田民生と椎名林檎を歌った。
 
 今日は私が利用した便以降、航空便は全て欠航だったと、後で聞いた。

                                          (おわり)
 

       
アトリエ縄文じいさん&ミー     「黄色の空と縄文じいさん」原画


 
ガジュマル通り
 
 
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